日常性の原理の実際上の効用

 日常性の原理の実際上の効用は右の一例に尽きるのではない、思うにそれは歴史的(又社会的)事物の全般[#「全般」に傍点]に行なわれる一つの根本的な原理だろう。歴史的時間の等価物である性格が、とりも直さずこの日常性の原理であったのだから。 多少大胆な比較をしてもよいなら、恰も物理学的世界像で、相対性の原理(アインシュタイン)や不確定性の原理(ハイゼンベルク)が占めているような位置を、歴史学的世界像では、この日常性の原理が占めはしないだろうか。人々はこれ等の原理の原理としての性質の間に可なりの類似をいくつか見出すことが出来るだろう。そしてもしこの原理が結局、唯物史観の公式[#「唯物史観の公式」に傍点]と論理上同値物であることを証明したとしたならば、今の比較はそれ程不倫でなくなるかも知れない。[#改丁]

第三篇[#「第三篇」は大見出し]     九 新聞の問題    一〇 新聞現象の分析    一一 アカデミーとジャーナリズム    一二 批評の問題

[#1字下げ]九 新聞の問題[#「九 新聞の問題」は中見出し]

[#3字下げ]一[#「一」は小見出し]

 新聞人は、当然なことながら大抵の場合新聞の讃美者である。彼等にとって新聞が関心に値いする問題であることは、何も不思議ではない。併しただ夫だけならば新聞はまだ少しも客観的に[#「客観的に」に傍点]問題となっているのではない。吾々が日常欠くことの出来ないもので、吾々が問題にしないでいるものは無限にある。私は東京で殆んど毎日省線電車に乗るが、別に省線電車の運転組織や構造や営業関係を問題にしないで結構済ませるのである。

— posted by id at 05:32 pm  

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