新聞編集

 インテリゲントが新聞編集に興味を持つようになったのは、彼がインテリゲントとしての自負を持つことの出来た時代からの必然的な帰結であったわけだが、併しそこには、インテリゲンチャが資本へ潜入出来るという可能性が仮定されていたのを忘れてはならぬ。新聞編集が興味を惹くのは、それが最も資本家的な文筆労働であるかのように見えたからに外ならぬ。だからこういう本来文学青年風な――尤もそれは今日では云うまでもなく社会的政治的性格を伴ってだが――新聞問題は、結局、既成の新聞への追従[#「追従」に傍点]・嘆美[#「嘆美」に傍点]の態度の告白に外ならないだろう。 だが資本への潜入の見込みのないインテリゲント、資本から見限られたインテリゲントにとって、新聞編集は問題となることが出来ないか。現にそうではない。なる程彼は新聞編集という一つの抽象的[#「抽象的」に傍点]な編集には、前に云ったことから当然、具体的な興味を有つ理由を見出さないだろう。併し新聞編集という一つの具体的[#「具体的」に傍点]な編集には切実な関心を持たざるを得ない。新聞の問題はここでは既成新聞への追従・嘆美ではなくて、却ってそれの批判[#「批判」に傍点]・検討[#「検討」に傍点]として現われる。そして之こそが吾々にとって、本当の新聞の問題[#「問題」に傍点]なのである。之はインテリゲントの自負[#「自負」に傍点]にではなくて、却って夫の自己批判[#「自己批判」に傍点]に対応する。新聞は今やイデオロギーの機関[#「イデオロギーの機関」に傍点]として初めて吾々のテーマにまで取り上げられることが出来る。新聞記者・新聞学者・社会学者等々は、新聞を様々な視角から取り上げることが出来るだろう。併し決定的な問題は、彼等が夫をイデオロギー論の問題として取り上げることが出来るか出来ないかである。そして之をイデオロギーとして取り扱う取り扱い方は、一寸見た程簡単には決して遂行出来ない性質のものなのである。

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