二つの種類の新聞に於て

 吾々に政治新聞と一般新聞とを、それがもつイデオロギー性を自覚・標榜するかしないか、又その程度の如何、によって区別したが、それにも拘らずどの場合であっても新聞は斉しくイデオロギーの機関であった。今二つの種類の新聞に於てこの斉しく所有されている処の夫々のイデオロギーが、同じ本質内容をもったイデオロギーであるならば、それを自覚・標榜するかしないかとか又その自覚・標榜の程度とかによる区別は、これ等の新聞のイデオロギー性にとって、根本的な区別ではないだろう。この際、この区別[#「区別」に傍点]よりも重大なものは、これ等の新聞が同一[#「同一」に傍点]のイデオロギーを有っているという関係である。で同一のイデオロギーを持つ限り、それが政治新聞であろうと一般新聞であろうと、そのイデオロギー的本質は同一である。その限り政治新聞と一般新聞とは自由に交錯・交流出来るのは当然であるだろう。 それが左翼民主主義であろうと、社会民主主義であろうと、ファシズムであろうと、斉しくブルジョア・イデオロギーにぞくする一環である限り、そのイデオロギー的本質を同じくする。従って今云った夫々のイデオロギーを所有している処の各新聞は、その新聞としての本質を等しくする。政治新聞と一般新聞との区別が本質的でなく、両者の間に自由な交錯・交流が許されるのは尤もである。 だから、今もし諸新聞が所有する諸イデオロギエンが、それの自覚・標榜の、又それの所有の、現象形態の如何に拘らず、同一のイデオロギー的本質を持たずに、却って対立する二群のイデオロギー本質に帰着するならば、ここにこそ新聞の真に本質的な区別がなくてはならぬ。政治新聞であるか一般新聞であるかではなくて、一般新聞と雖も一定のイデオロギーの機関であるのだから、ブルジョア・イデオロギーの機関であるか、又はそうではなくてプロレタリア・イデオロギーの機関であるかこそ、現在に於ける新聞の本質的な区別でなければならぬ。

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