思惟が哲学方法に対して特別な関係に立っている

 処がこの点が恰も、思惟が哲学方法に対して特別な関係に立っているという先から云っていることを裏書きしているものに他ならないので、思惟の問題[#「問題」に傍点]については哲学の方法[#「方法」に傍点]が食い入っているのであればこそ、一見思惟の科学でありそうな数学が、思惟の科学としての資格を一定限度まで譲歩したわけで、この点から見て昔から哲学と数学とが何か密接な親和関係に置かれていると考えられたのも、却って理由がなくはなかったのである。 数学を思惟の科学だと主張する数学者乃至哲学者は、実はそう主張することによって数学が最も完備した論理学[#「論理学」に傍点]だということを主張したのである。即ちこの種のブルジョア理論家によると、論理学というものはアリストテレス以来の「伝統的」な論理学としてはもはや行きづまって了ったので、夫に代わるものとして「近代的」な「数学的な」論理学を必要とすると云うのであり、之こそが本当の論理学即ち思惟の科学だというのである。彼等によると之こそは形式論理学[#「形式論理学」に傍点]に代わる内容的な[#「内容的な」に傍点]論理学だということになる。 だが之が決して内容的な思惟の学ではなく、従って又内容的な論理学などでないことは、先に言っておいた通りであって、之が依然として所謂形式論理学と全く同じ意味に於て形式的又は形式主義的な論理学に過ぎないことは、この派の論理学=数学が数学上の「形式主義」に帰着することからでもよく判る。 だが吾々にここで必要なことは、思惟の学が論理学[#「論理学」に傍点]という名を以って云い表わされるという一つの普遍的な事実である。論理学をどういうものと考えようと、思惟の学を論理学と少なくとも名づける[#「名づける」に傍点]ことは、どの哲学の立場から云っても共通な習慣だと見ていい。

— posted by id at 08:10 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.3296 sec.

http://bp84.com/