生気のない頭髪

「捨てんといてね」友子は何度も言った。そして、豹一の膝に頭をくっつけたまま離れなかった。膝が熱くなって来た。 死んだように生気のない頭髪を、豹一はちょっと触ってから、いきなり友子を突き離した。 それきり、友子に会わなかった。 三月経った。 ある日、豹一が日本橋筋一丁目の交叉点を横切っていると、うしろから、女の声で呼び止められた。振り向くと、友子が着物の裾を醜くみだして、追って来るのだった。はっと立止ったが、信号が黄に変っていたので、豹一はその気もなくどんどん横切ってしまった。なにか逃げているような気がした。 友子は信号にかまわず横切って来た。「あんた探してたんやわ」傍へ来ると、友子はもう涙ぐんでいた。 近くの木村屋の喫茶店へはいった。ソーダ水のストローをこなごなに噛み千切りながら、友子は妊娠している旨豹一に言った。 豹一ははっとした。友子は白粉気なくて、蒼ぐろい皮膚を痛々しく見せていた。唇に真赤に口紅がついていたが、それが一層みすぼらしく見えた。好みのわるい小さなマフラを、羽織の紐の下へ通して掛けていた。 豹一はふと、(ショールを買ってやろう)と、思った。豹一は友子と結婚した。 谷町九丁目の路次裏に二階を借りて、豹一は毎朝新聞社へ出掛けた。 その年の秋、豹一は見習記者から一人前の記者に昇進した。従って、五円昇給した。友子はそれを機会に、豹一に頭髪を伸ばすことをすすめた。 豹一の頭髪が漸く七三にわけられるようになった頃、友子は男の子を産んだ。産気づいたことが、母親の声で新聞社へ電話された。 豹一は火事場に駈けつけるような恰好で、飛んで帰った。産婆が来ていた。

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