小春日和

 豹一はふと膝のあたりに痛みを感じた。枕元に鋏が落ちていて、豹一はその上に膝をついていたのだった。 その日、産声が空に響くようなからりとした小春日和だったが、翌日からしとしと雨が降り続いた。四畳半の部屋一杯にお襁褓が万国旗のように吊された。 お君は暇を盗んでは、豹一のところへしげしげとやって来た。 火鉢の上へかざしたお襁褓の両端を持ちあいながら、豹一とお君は、「乳母車《おんば》を買わんならんな」「そやな」「まだ乳母車は早いやろか」 そんな風なことを話しあった。やがて、お君は、「早よ帰らんと叱られるさかい、帰るわ」そう言って立ち上り、買って来た赤ん坊の玩具をこそこそと出して、友子の枕元に置くと、また来まっさ、さいなら。 雨の中を帰って行った。 一雨一雨冬に近づく秋の雨がお君の傘の上を軽く敲いた。

 序

 これは私が大正三年秋二十二歳の時一高を退学してから、主として、二十七歳の時「出家とその弟子」を世に問うまで、青春の数年間、孤独の間に病を養いつつ、宗教的思索に沈みかつ燃えていた時代に、やはり一高時代のクラスメートで、大学卒業前後の向上期にありし久保正夫君および久保謙君に宛てて書き送った手紙を編み集めたものである。 両君とも一通も失わずに保存していて下さった。 もとよりこれらの手紙は公表することなど予期して書かれたものではない。この寂寥《せきりょう》と試練の期間を私はひとえに両君の友情に――というよりも友情の文通に支えられて生きた。私は遠くはなれて住み、一、二度しか相会うことはできなかった。それに海岸から、病院へ、それから温泉へ、それから修道園へ、と私は病を養いつつさまよっていたから。

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