妹の健康は異情を呈しました

 けれど私にはここにも十字架が待っていました。宿に来てからは妹の健康は異情を呈しました。それは山の上には風寒く北向きにて日あたり悪しくまたあまりに寂寞《せきばく》なるためでした。妹は何となく不幸そうに見えました。そして外は風雨の烈しく樹木の鳴る夜に寒そうな淋しそうな顔をして少しは燈火の美しいところへも行きたいと申しました。妹はついに風邪《かぜ》にかかり発熱しました。そして食事もせずに寝ているところへ知人の医学士が来て、妹の肺は少し怪しいと私にだけひそかに注意しました。そして山の乾いた冷たい空気はいけないからさっそく下山するように勧告しました。私は広島駅で妹を迎えた時からそのやせたのに気がつきました。そして食事のすすまぬのを心配していました。私は妹がもし肺病になればと想像して戦慄《せんりつ》しました。そして私は病人ではなくて妹のほうが病人のように思われました。私は自分の生活のために、弱いまだ花やかなものを慕うにふさわしき乙女を、冷たい、淋しい山の上に連れて来たわがままを後悔しました。そして私の趣味を捨てて妹の健康を救おうと決心しました。妹は可憐にも私のために山の淋しさも寒さも燈火のなつかしさも犠牲にする気で少しも不平はいわぬのみか、かえってあなたが好きなら山におろうといいました。けれどその翌日兄妹は山から下りて再び街に来ました。そして今の宿に来たのです。今の宿は海に近く日あたりよく、かなり静かにて居心地よく穏やかな養生の場所として不適当ではありません。夜は温泉宿の燈火が美しく、三味線をひいて街を流して歩く女なども多く、昨夜も海岸を散歩してみましたら甘やかすような春の月のおぼろな光のなかを男と女と戯れながら歩いてるのを幾組も見受けました。 私は退院以来私自身も、妹も驚くほど元気よろしくかえって妹のほうが案じられるくらいです。妹もこれといって悪いのではありません。休学させて養生させます、なにとぞ心配しないで下さい。私は私のためにも、妹のためにも神の癒やしを祈っています。私らは静かな寂しいそしてたのしい生活をするつもりです。私は私のそばに愛し慈《いつく》しむものの共にあることを悦びます。私は孤独を願いません。私の心はただひとり私が住むときには犬でも飼いたき心地となって表われます。私は時々夜半などにふと眼のさめたとき、かたわらの寝床に妹が黒髪を枕に垂れてすやすやと眠ってるのを見て幸福を感じることがあります。そのようなときに、ひそかにそしてかろく眠りをさまさぬようにその白い手に接吻したい心地がいたします。ああどうして近頃の青年には、弱い美しい清らかなものを慈しみ愛する心が乏しいのでしょうか? 「青と白」の終わりには森のなかで桃色のパラソルを持った少女と大学生と恋を語っているのを見て、それを祝し自らは淋しい樹影にかくれて、静かな魂の休息の深いなぐさめを感ずる青年が描かれてありましたが、それを私はたいへん心地よく感じました。けれどその大学生が幼い少女の愛をもてあそび、そしてブルータルな要求にその清らかな心を蹂躙《じゅうりん》したらどうでしょう。私は恐ろしくてなりません。そしてそのような場景を考えねばならないことを、不安にも、苦痛にも感じます。そのようなことを現実として見なければならないことは人生の一つの大きなイーブルではありませんか。「青と白」とのヒーローは詩人的な純潔な音楽的な気品を備え、成長しました。私はツルゲーネフのゼントルフォークのなかにでてくる純潔な青年詩人を思い出しました。

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