経済の問題

 病気のことや経済の問題は除いても私は性を十分に肯定することができかねるような考え方になっているのです。それは私の宗教的気分から来るのです。昔から多くの聖者たちが女から遠ざかったように、私にも天の使のようになるためには性を超越せねばならないような心地もします。元来生物の自己認識から起こる愛であり、愛の成就としての信仰ならば、性の愛とは別なもの、むしろ反対のものが宗教的愛のように考えられます。ショーペンハウエルなどから出て来た私の思想は、性はエゴイズムの最も顕著な動物的要求のように感ぜられ、神に赴くの愛はそのありさまを一度認識して厭離した心持ちより生ずるもののごとく考えられます。そして私はことに肉体の交わりは、愛に反する心持ち、動物が共食いするのと似たエゴイスチッシュな動機より発するものと思われてなりません。私は愛の表現として性交を認めることはできません。私には天使的願求にのみよって生きたいというせつな希望があります。そして愛の動機のみにて他人に対したい、したがって女と肉体の交わりをすることは自ら許す気にはなれません。私はキリスト教的結婚というものを認めることができません。それにいっぽうにおいて私は性の要求が堪え切れぬほどに強いのです。そのためには先日謙さんにあげた手紙に「いっそ結婚したら」と思うと書きましたほどです。肉体の交わりをしないで、女性と(たとえばお絹さん)夫婦として同棲することなど、とても今の私にはできません。そのようなことをすれば私の心は不断の心の混乱と圧迫とに苦しむばかりです。 私の心はこの二元のために混乱します。性を捨てることは私にはできがたきのみならず、実に惜しいのです。といって天使的願求は私にそれを許しません。この頃の私はこの両方の要求がどちらも高潮するのです。この頃私には性の要求が堪えがたきほど強くなりました。ことにお絹さんのために私のこのドウアリスムスはいっそう重くかつ急になりました。(彼女は子供らしく二十一、二にしか見えませんけれど、実際は二十五で、周囲の人々は彼女の年老けるのを恐れて今年のうちに結婚させようとしているのです。彼女は私でなくては結婚せぬといい、そして私がほっておけば見るみる婚期を失います)そして私はどうも心が定まらず胸が混乱するのです。

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